タヒチヌイ

 ワタシを含めた仕事に疲れたシステムエンジニア約二名のあいだには、さいきんあらぬ妄想がはびこっていて、それは「この仕事が終わったらタヒチのビーチで冷えたワインでも傾けながらサガンの『悲しみよこんにちわ』を読む」とかいうものだったりする。まあすてき。

 もちろんさいしょは軽い冗談だった訳で、それができたらさぞ素晴らしかろうなどと、紫煙けむる会議室で笑っていただけだったが、あれもこれもと妄想の中でディテールが膨らんでいくうちに「やっぱりこの場合ワインは辛口の白にしておくべきでしょうか」「いやロゼとかにしておくのがいいんでないの」「ひとり寂しくビーチで読書していると旧宗主国の若い男性がやってくるわけだ」「それで、ははあ、そういうことになるわけだ」「フランス人ってのはどうだろうな」「ドイツ人よりはいいんでないの」「ちょうどその男は傷心旅行の最中だったりしてね」「まさか森瑶子の小説じゃあるまいし」「このさい森茉莉の世界まで飛んでいってしまうのはどうでしょう」「気付いたら森鴎外になっていたりして」。お莫迦な妄想。

 調子に乗って「やっぱりそういう旅はファーストクラスでないと決まらないんでないの」「ボーナス激減してるのにそんなの無理だって」「いや溜め込んだマイルが」「でも全日空じゃ飛べないでしょ」「スターアライアンスならきっとあるって」。

 ちょうど手近にあったPCで検索してみると、タヒチには自前の航空会社があるようで、その名を「エア タヒチヌイ」という。なんとも幸福そうな、ビーチと冷えたワインと森瑶子が徒党を組んで押し寄せてきそうな名前。
 成田からの直行便も月/火/土とあったりして、ますます妄想が膨らむ我々。新婚旅行でもないのにタヒチ熱がわきあがってりしているけれど、もちろんお仕事の方は、終わりそうな気配もなくて今日も終電。

 ちなみに、「この仕事が終わったらシベリアのバイカル湖岸で冷えたウォッカでも傾けながらドストエフスキーの『罪と罰』を読む」というのも提案してみたのだが、あっさりと却下されてしまった。何がいけなかったのだろう。